組織において、批評はしばしば誤解される。
否定的であること。
足を引っ張ること。
前向きでないこと。
しかし、本来の批評は破壊のためではなく、修正のためにある。
推進する人がいて、実務を担う人がいて、批評する人がいないとき、判断は加速する。加速は一見、活力に見える。だが修正が働かない加速は、やがて偏りを拡大する。
批評機能が不在の組織では、いくつかの兆候が現れる。
異論が出にくい
失敗が個人の責任に帰される
会議が報告と承認の場になる
違和感が言語化されない
最も静かな兆候は、「なんとなく進んでいる」という感覚である。
止まらないが、深まらない。
批評は、人格ではない。役割である。
特定の人が「批判的な性格」だから担うものではなく、
構造上、必要な位置にある機能である。
この機能が制度化されていないとき、批評は個人の勇気に依存する。
勇気に依存した機能は、持続しない。
批評機能が明確に存在する組織では、否定は攻撃ではなく、検証になる。
違和感は排除されず、検討の材料になる。
そして判断は、一度決まっても再検証可能である。
批評のない組織は、衝突が少ない。
しかしそれは摩擦がないのではなく、摩擦が地下化しているだけかもしれない。地下化した摩擦は、やがて突然の断絶として現れる。
持続可能な組織に必要なのは、衝突を避けることではない。
衝突を、修正のエネルギーに変換できる構造である。
批評機能の不在は、静かな不安定を生む。
批評機能の存在は、静かな強さを生む。

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